選択的シングルマザーという言葉の知名度はまだまだ低いと思います。
日本では男女が結婚して子を授かるというスタイルが一般的とされ、そこから外れた道は、後ろ指こそ差されないもののいばらの道に変わりありません。
なぜ私が初めから結婚を考えず選択的シングルマザーになろうと決めたのかを書いていきます。
母のように苦労したくない
私の父は客観視が苦手でカッとなりやすいタイプでした。
昔の人なので発達障害の診断はありませんが、今生まれ育っていたらあったかもしれません。
そして母は田舎の長女で我慢強い人でした。
年に数回父は八つ当たりのように怒り出し、母は無視する形で耐えていました。
しかし私が小学校高学年になる頃から、八つ当たりの矛先が私にも向き始めました。
私が言い返すと、父は毎回逆上して「親に向かってなんだその口の利き方は!」というような、会話から外れた理論で私を押さえつけようとしました。
逆上したら他の家族にも当たり散らすため、母は私に言い返さないよう注意しました。
これが何度も激しく繰り返された結果、私は人に嫌と伝えることができなくなり、自己肯定感も低く、高校生の頃から今までずっと慢性うつ病のような人間になりました。
燃え尽きた後の余韻のように惰性で生きている私は、何のやる気も活力も湧かず、生まれてこなかったことになるボタンがあれば迷わず押せるくらいでした。
私は母のようにうっかり威圧的な男性と結婚して、召使いやご機嫌取りのように過ごしたくなかったのです。
人間性に問題のある父親は子どもに悪影響
私は大学で教育学をかじり、人が成長する上で教育がどれほど大事かを学びました。
むしろ人は教育によって人になるそうです。
また、父が威圧的で母が顔色を窺っているような過程で育った場合、子どもは男は威圧的に振舞っていいのだ、女が我慢するのは当然だという間違った学習をします。
そして大人になったとき同じように振舞ったり、同じようにイマイチな配偶者を選ぶ確率も上がるようです。
世の中には「私が我慢すれば上手くいく」と思って頑張って耐えている方もいるかと思いますが、少なくとも私の育った家庭では上手くいきませんでした。
ちなみに私はその責任を母に問いただしたことがありますが、母は逆上して決して認めませんでした。
とても苦労してきたため、失敗だった、無駄だったとは考えたくなかったのでしょう。
子どもの能力は遺伝と環境で決まると言われています。
どちらも親が与えるもので、子どもが選ぶことはできません。
遺伝はともかく、私はイマイチな男性がいるという家庭環境を与えたくありませんでした。
もちろん私自身、自分の遺伝や与える環境が優れているとは思いません。むしろ劣っているのではないかと感じます。
しかし、自覚があるからこそ人や子どものせいにはしません。
もし子どもが私のように生きていること自体が辛いと感じる大人になってしまったら、それは100%私の責任になるでしょう。
私自身も地雷物件?
前述のとおり、私は慢性的なうつ病のような状態で、エネルギーがありません。
家事も掃除も最低限です。
神経質で人間不信です。
そんな私がとても素敵な男性と結婚できたらどうなるか。
きっとご迷惑をおかけすると思います。
相手は誰かの大切な息子さんです。
私は自分がイマイチな女性であることを認識していながら、その選択を目指すことはできませんでした。
目指したとしても実らなかったでしょう(笑)
夫はいらないけど子どもはほしい
私は子どもが好きです。
8歳くらいの頃、通っていた学童に一人だけ3歳くらいの子がいました。
同い年の子がいなくてよく一人で遊んでおり、それが気になって時々一緒に遊んでいました。
一緒にカイワレを育てるという謎の遊びでしたが……。
そんな子は学童に私しかいませんでした(自画自賛すみません……)。
何が言いたいのかというと、私は人一倍子どもが好きだったということです。
だから夫はいらないけれど子どもはほしい。一人でもきっと上手くやれるはず。
その選択肢ってないのかな~と大学生のときに調べていて見つけたのが選択的シングルマザーという道です。
これしかない!と思いました。
子どもが私をまともな人間に戻してくれるのではないかという打算も少しだけありました。
私のような人間が親になっていいのか?子どもから父を奪っていいのか?
そういう悩みはありましたが、そういった選択的シングルマザーを目指す自分への批判はまた別の機会に書きたいと思います。
以上が、私が選択的シングルマザーになることを決めた理由です。
いつか子どもに恨まれる日が来るかもしれませんが、それに怯えてビクビクしていると上手くいくものもいかなくなります。
成人後、子どもが自分の生い立ちを振り返ってどう思うか。
その最終ジャッジの日まで堂々と楽しく生きていくのが目標です。
結婚は来世に期待!
